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* その7 *  実は……


さて。ここで私は今一度、考えてみました。
そもそも小説とはなんぞや、と。
この時点の私、小説は「会話文とそれ以外の文章の応酬を繰り返し、話を展開していくフィクション」だと思っていました。

大まかには間違ってはいないと思うのですけど。

では初投稿した文章が、どうして小説ではなくシナリオだと指摘されたのか。

実はその理由が、高校時代の部活動に起因していることに気がつきました。

気が遠くなるくらい遠い過去(ヲイ)、そう、あれは花も恥らうヲトメの女子高校生だった頃。(いや、そんな前振りはいらんて^^;

当時の私は放送部に所属していました。当時ビデオ製作部門に席を置いていたわけですが、このビデオ製作部門が半端じゃなかった。
3年間、毎年最低1本は自分がディレクター担当したコンテスト参加用作品の製作が義務、地方大会は一位当たり前、全国行って表彰式まで帰ってくるなー!という勢いの、女子高とは思えない誰もが認めるモーレツ部でしてね。
そんな華の無い(ヲイ)体育会系(?)文化部ですから、余分な製作スタッフはいるはずもなく。
ディレクター兼、ライター権、エディター兼、AD兼、TK兼、美術兼、技術など、掛け持ち出来ない取材時のアナウンサーとカメラマン以外はたいがいやりました。 つまり、企画・取材・編集を通して何でも自分でこなさなきゃならない。

高校時代の思い出は?って聞かれたら、モニターと操作卓、背後に積まれた取材フィルムの山が真っ先に脳裏に浮かぶなんて。

嗚呼、なんて悲しすぎる青春。(←やめなさい

……蛇足でした。話を元に戻しませう。

その、怒涛のプロセスの中に“Qシート製作”というのがありまして。

芝居で言うところの台本。その本を見ればどの画にどんな言葉が入って、何秒から何秒まではどの音楽が入って、このカットにはこんな効果音入れて……といった番組全体の設計図がわかる、それがQシートなのです。
これを何本も作ったわけだ。
要はこれがシナリオに程近いものだったという。(厳密には違うでしょうけれど、体裁はよく似ています)

物書き当初、シナリオがどういったものかという意識はまったくなかったのですが、あの3年間で何本も番組を作っているうちに、ストーリーを書く=Qシート=シナリオ風味の定着、といった図式になってしまったのでしょうね。

書いたものがシナリオだと指摘された以上、小説を書くには、まず小説という形式を知らなきゃいけない。

ですが普段、物語を読むことはあまりなく。ましてや小説がどんなものか、なんて意識したこともない。
……そんなヤツがよく新人賞なんかに出したものよ。
この身の程知らずめっ!!と、改めて思う私。 ( ̄ω ̄;)ゞ

この頃からですね、小説というものを意識的に読むようになったのは。

改めて考えると、確かに巷の小説には、自分が書いたようなかぎ括弧の冒頭には、喋る人の名前などいちいち表記されません。
さすがにそのくらいの違いはわかりましたが、では、そのシナリオだといわれたものを“……と○子は言った。” と書き換えればいいもんでもなさそう。(当たり前でしょう!)

そして、最大の違い。

文中に登場する、vol.33って?vol.58……って??

つまりですね。

自分の書いたものはね。ひと括りの大きなタイトルのお話は、小題で細かく分けられた短いエピソードがいーっぱい集まって出来ていたわけですよ。

ええ。まるで連続放送のアニメ番組のよう。……いちいちタイトル付けなさんな。

……やっぱりここが顕著にシナリオ傾向かと。フッ ┐( ̄ー ̄;)┌

あー。
何で気がつかなかったんだろう。

でもこのときはまだ、書きかけの三作目がクライマックスでしたので、今更形式を変更する勇気も無く。勢いで行くしかないと。
異形式とはいえ、きちんと評価を受けた作品(ヲイ)の改善点を、特に全体の評価を下げた感情描写を、最後だけでもしっかりと書こう。そんな思いで、残り数十ページを仕上げました。

ええ。三作目までは大体こんな感じで、ただ描きたいという衝動だけで文字を綴り、結果的にでたらめなことばかりやっていたのです。
でもね。
違うという意識が持てる、これが、今回の新人賞投稿の意義ではなかったかと、私としては思うのですよ。

そして、ホントに楽しく書きましたよ?自分の想いが活字になっていくのって、こんなに気持ちが良いんだ、って。

ダメですか?良いですよね?

………………あはは。^^;;;;;;;;


その後も、作家支援サイトにもだいぶお世話になりました。プロットという言葉も知りました。少ないといわれた描写という技法も、言葉の意味から調べました。
作品にはオリジナリティーと設定は大事なんだということ、人を書く場合でもその社会、世界観は大事な要素になるということ、人を書き分け個性を出すこと……。
得たものは本当に大きいと感じました。恥もかいてみるものだと。(笑

次に書くものは、小説で。

いや、少なくとも小説といえる形式で。(目標、低い^^;)

同じように、初心者特有の悩みを持った何人もの小説家の卵が集まるサイトで、プロットの書き方であるとか、言葉の使い方であるとか、人称(視点)の問題とか、今まで考えずに書いていた事柄をたくさんのやり取りの中で学んで行きました。

この段階で、小説とはこうあるべき、というおぼろげでも浮かんできた形というものに意識をするようになりました。

でもね。私の小さな脳みそは、ぐるぐるし始めました。そして、だんだん細かいことが気になり、案の定、混乱です。

やはり、今までと違う。何かが。

そんな中、大好きな作家さんのオススメで、ある一冊の本を知ることになったのです。

高橋源一郎著

「一億三千万人のための小説教室」
  岩波出版

オススメ、というだけあって、本当に面白い視点で小説を紐解いていました。

冒頭から「小説の書き方」本について、AタイプとBタイプに分け、どちらも役に立たないと言い切ります。(もちろん、納得のいく理由が書かれています)
その上で、著者の持論がCタイプとして上げられ、この本のキーワードとして出てきます。(あえて伏せておこうかな。バラすのもなんだし)

そして、後30ページというところまで来て、とうとう衝撃的な言葉が。

「……けれど、小説というものには本来の本来のなにか、などないのです」

ええええっ!!これまで培った認識、いきなり、ちゃぶ台ひっくり返しかいっ!

……いや。

流れとしては、こうなるよね。^^;

確かにその本の内容は、今までの無作法を矯正しようとしていた自分とは逆走しているかもしれません。

でも、やっぱりそれでも良いのかなーという、ちょっとだけ手綱が緩んで楽になった気がしたのです。

間違った書き方、なんて本当はないのかもしれない。何を恐れるんだ?と。

何でもいいから、書いてみる。

基本はそこなんだよなーって。


……ということで、まだまだ続く見通しの『夢』発……でした。あはっ( ̄∀ ̄;)ゞ


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